A 六(🐰)月九日。………長い間(📡)、(📪)私は日記をつ(⭐)けることを(🌊)怠っ(😴)ていた。去月一(🗡)日(➿)、すな(💨)わち病人(🔆)が第二回目の(🐉)発作(🚁)を起して斃たおれた日の前(🔙)日を(🛴)もって私の日記は終っており、そ(😏)れ以後(🍼)今日(🦔)まで三十八日間という(🐺)もの(🎀)、私はあとを書き(🎟)継ぐことを中止(🌳)していた。それは、(🛃)病人の突(🖋)然の死去に(✳)よ(🔽)って当分の間いろい(🐦)ろな(👑)家事上の雑務が生じ、(🦖)多忙で(🐶)あったからでもあるが、彼の死の結果として(👒)、さ(🌅)し(😹)あ(📏)たり先(💋)を書き(🔯)継ぐ興味が、―(🌰)――とい(🤑)う(🚼)か、張り合いが、というか、―――な(🧚)くな(🍰)ったからでもある。その(✨)「張り(🛹)合い(🌃)がなくなっ(💕)た」(🏫)と(🈯)いう事情は、今日といえども(🐗)変って(🏨)いない。だから私は(😄)今後も日記をつけることをしないかも知れない。少くとも、再(🕕)び(🏐)日記を(➿)始める(🀄)ことに(🦒)す(💳)るか(🔩)どう(🈸)かは、(🌱)今の(💎)ところ未(📓)定(🌊)であると云ってよい(🐡)。が、今年の(🌰)正月(🚚)一日以来百二十(🥂)一日の間毎日書きつづけ(🥒)て来た日記が、(🛌)あん(🥎)な風(📞)にポツリと切(💆)れ(👀)てしまったま(🛥)まに(👽)なって(🛏)いるの(🛳)で(💚)、あれに一往(⛎)の結末をつけて(🚤)おく方がよい(🕡)と(🖐)は(💎)思う(🐻)。日記の(⤴)体裁の上からいっ(🎭)てもそれが必要であると思うし(🦎)、亡なくなった人と私との(🐚)性生活の闘(🗳)争についても、ここらでもう一度(♐)振(🔑)り返ってみて、その(🔰)いき(🏟)さつを(🌲)追想してみるの(🔗)も徒爾と(🥜)じではない。故人(🚚)が書き遺の(🦊)こして(🔆)行(🌼)った日記、(🍎)――(🚯)―(🚆)分けても(🐢)この正月以来の日(🧔)記と、私のそれとを仔細(👬)しさいに読み比べてみるなら(👰)ば、闘争の跡は(💶)歴(⛏)々と分る(❕)のであ(😏)る(🔏)が、(🈺)なお私と(😹)し(👳)ては、故人の生(〽)前には書き記すことを憚っ(🛬)て(🦑)いた事柄(🌼)が(📅)かな(😬)りあ(🔺)るので、最後(😺)にそれの幾分を(🍯)書き加(🤰)えて、過去の日記帳に締(🤬)めく(🐣)くりをつ(🖋)けたいので(🤦)ある。